自分で考えてるということは何も考えていないということなんだよ

ここ一ヶ月ぐらいまともなオフラインの本屋にいってなくて買い逃し買い忘れが激しいです。今週の木曜に三田に行ったついでに生協に行ってドカ買いしてしまった。それでもあとからああ、あれ買い忘れた、とか思うのであった。
といいつつ、そのときに買った本のことではなくて月曜にTSUTAYAMOTHER3を買うついでに買った『ドラゴン桜』12巻のことを。前ふりは、12巻が3月に出てたことに気付かなかった、ということが言いたいがための前ふりとして書き出したのだった、層だった思い出した。
ドラゴン桜』の魅力はなんといってもどんどんピカソ化していく絵・画にあるわけだけど、今回はそんなにとんでもない方向に壊れていなくて残念、というか慣れてしまっている自分がいやだ(ピカソ化、って、抽象芸術化の比喩表現じゃなくて、ほんとにピカソっぽいんだよ。そう思いませんか)。
あとまあ、いつも思うことだけど、おバカ高校の2人を東大に入れる=すごい、って図式が前提にあって、その前提をひっくり返すのがコンセプト、みたいなところがあるけれど、主人公2人ともおバカじゃないもんなあ。かなりコミュニケーションスキルに長けていて、こんなのどこの大学だって受かるよ、ばかばかしい、と一塾講師としては思うのであった。まともに会話が成り立ってるし、言われたことを時間がかかっても理解しているし、理解しようとしているし、やれと言われたことを(たとえ10分の1とかでも)やっているし、そもそも何かやれって言われたらしいということ自体がわかっている。こういう生徒を受験で落とすほうが難しい。

ドラゴン桜(12) (モーニング KC)

ドラゴン桜(12) (モーニング KC)

ぼくの読書は福田和也方式*1で、つまり重要なところをメモをとりながら読んだり、ましてや線を書き込んだりしてはいけない。ページの角を折れ。という方法をまともに実行しているのだけど、この12巻に関しては角を折ったページは2箇所。
一箇所目。107限目の大沢君との会話。これおかしいんだよ。私大は3教科で東大は5教科で普通は私大のほうが楽、って発想しちゃうところだけど、それは間違いで、ひとつの教科だけ深くじっくりやってても飽きちゃう、だったら広くいろいろ楽しんで学べる国公立大方式のほうが受験勉強としては楽、というのは、まあ、人によるだろうけどその通り。おかしいのは、「東大の問題なら受験でしか使えない知識がいらないから5教科やっても色々勉強できて楽しいけどな」「早いうちから急いで専門家になってどうすんのさ…好きなものは大学に入ってからゆっくり勉強すればいいんじゃないかな…」というところ。大学入試で必要とされる知識で、「受験でしか使えない知識」ってないと思うんだけど。
英語にしたって、まあぼくは自分の個人的経験からしかいえないけど、慶応の文学部の英文は読むのもうんざりするほど長くて(いまはどうか知らないけど辞書持込可の入試は当時慶応の他は1校ぐらいじゃなかったかな)ハードルが高い、って思われがちだけど、大学に入ってから語学の授業で読む英文の方がはるかにハードル高いのね。全単語辞書ひかなきゃわかんないぐらい。だから大学受験より大学の語学の授業の定期テストのほうがはるかに緊張したよ、ぼくは。大学院入試は、修士についてはさほど難しくない。大学入試程度。博士入試になると、まったくぼくにはちんぷんかんぷんになるわけ。このへんの実感については個人差がありすぎるんだけど。出題者が違うのかなあ。そういうことじゃないよなあ。たぶん出題傾向が違って、修士入試は一般向けの教科書や雑誌記事から、博士入試は専門向けのテキストや雑誌記事からの抜粋なんだと思うのね。しらないけど。そうすると専門家(このばあい社会学、か)のいいまわし(ジャーゴンとはまた違う)に慣れてる、というか、慣れることができる体質だと、対策もできるんだと思う(でまあ、ぼくは慣れることができなくて苦労したと)。
何が言いたいかというとだね、たぶんだよ。たぶん、東大入試で必要とされる広い知識、だけじゃなくて、私大入試で必要とされる知識だって、世間の偏見に反して「受験専用」なんてことはなくて、完全に「前提」なわけだよ。大学で授業を受けるための。私大の受験は各校特色があって、この大学はこういう学生を求めてるのかー、なんてことがわかるんだけど、結局、入り口が違うだけで、目標とする通過ポイントは同じだと思うのね。卒論書くときにこのレベルの文献が読めるようになっていればOK、とか。世界史で受験したから日本史の知識はゼロ、とか文系だから物理の知識はゼロ、とか自己規定しちゃうかもしれないけど、たぶんゼロで入学しても、大学で普通に授業受けたり卒論書くのに一時的に集中したりすれば、高校卒業水準の知識・というか知恵だね、は身についているのではないかと思うわけだよ。いやもちろん今突然「アメンホテップ4世時代に栄えた美術は?」とか聞かれても即答できないけどさ(笑)、受験が終わればすべての記憶を自分の記憶だけに頼る必要はなくなるわけで、インデックスとして持ってればOKなわけじゃん。プログラマーであらゆるDLLに関して熟知している人なんて少ないはずでさ。「こういう機能を使いたいんだけど、なんかなかったかなー」と検索できれば問題はないはずでしょ。どのデータベースをどのキーワードで検索すればよいか、がわかっていれば。
というわけで私大受験では受験専門の知識が必要となる、なんてのは嘘だってはなしでした。

二箇所目。110限目の桜木のお説教。これは正しいこと言ってるのね。垂直思考はダメで水平思考でいけ、と。これはまあ、よくある「偏差値の弊害」についての話なんだけど、「偏差値の弊害」っていうと、「詰め込み教育が…」とかバカな連想をしがちだけど、そうじゃなくて、本当の弊害は、単純に、偏差値ってあまり使えない(大学受験の場合には。高校入試では使えるから、全中学生が受ける統一テストは必要に決まってる)、という程度のこと。ようするに、どの大学を受けるかで対策が決まり、勉強する内容も決まるのであって、このぐらいの学力だったらこのあたりの大学を受けられるかなーなどと決めてはダメっつーことです。
また個人的なことをいえば、ぼくは大学を4校受験しましたが、偏差値の高いほうから順番に受かっていきました。偏差値が一番低い大学には落ちました(下から2番目は補欠合格)。理由はその大学の赤本を一度も開いたことがなかったからです。買いもしなかった。受験当日下痢だし。英語も世界史も一問たりとも理解不能だった。何が問われているのかすらわかりませんでした。

そんでまあ、なんでドラゴン桜に内在的な言及をしているのかというと、今年は受験生5人かかえてて大変だからです。秋とかもっと増えるんだろうなあ。やだなあ。