鈴木芳樹『スローブログ宣言!』(技術評論社)

いま3章あたりを読んでいる。

実を言うとぼくはテキストサイトに関する本や雑誌特集などを、まともに読むことができない。理由はムカつくから。

鈴木さんが、2000年(ブログ初来日)〜2002年(ブログ再来日)あたりの事情に関して書いているように、日本には95年前後あたりからの個人サイト(テキストサイト)文化があって、ぼくも95年からずっと個人のテキストサイトを続けている(慶応三田のサーバでやっていた"Isolationism"→So-netのユーザ用サーバでやっていた"orange Prose"→はてダ)。

あんまり面白くない記事しか書いてなかったし(といっても自分にとってはこれ以上ないくらい面白いテキストサイトだった/であるわけだけど)、訪問者だって1日2、3人なんてのが当たり前だった。

だけど、それが「個人サイト」ってやつだったし、日記文化ってやつだと思っていた。もちろん友人の中には「ネット界の有名人」がいたりして、「カウンタが1日30ぐらい回る」とか聞いて「さすが、すげーなー」なんて思ったりしていた。でも個人サイトの「事情」は、みんな、ぼくとそれほど違わなかったんじゃないかと思う。

テキストサイトに関する『教科書』とか雑誌特集なんかがムカつくのは、そういう《小文字の歴史》しかない流れのなかにむりやり《大文字の歴史》をでっち上げようとしているからだ。そしてそこで大文字化されるのはだいたい95年前後の[dame]メーリングリスト界隈で「活躍」していたり、そういう場所ででかい声が出せる方々のお眼鏡にかなった良趣味サイトだったりする。

だけど、「個人サイト」「テキストサイト」の歴史は、大文字化された有名サイトの遍歴なんかじゃなくて、誰も見にきやしない、へたすると2、3日に一人ぐらいしか訪問しない、他人にとっては面白くもなんともない、鋭い洞察も新しい知見もなにもない、平凡な生活を綴ったような、そんなサイトの「歴史」だと思う。

一時期ぼくはそんな「平凡サイト」をブックマークに延々貯めこんで、「有名サイト」間の「セレブ・コミュニケーション」を目にしないように努力していた。貯めこまれたブックマークは、二度とクリックされることがないということも多かったし、久しぶりに訪れてみたらNOT FOUNDになっている、ということが多かった。

「個人サイト」「テキストサイト」がなんらかの意味で現実の「世界」だとしたら、ぼくは、そういう、立ち上がっては消えてゆく、平凡なつまらないサイトたちこそが、テキストサイトの世界の歴史の主人公だと思う(彼/彼女らの多くは、いまやパソコンにすら触れないのかもしれない)。

96年に個人サイトをはじめたという鈴木さんが「一種の自叙伝的エッセイ」という形で書いたこの本は、ぼくのテキストサイトに対する世界観に非常に快くしみこんでくる。無理やりの「大文字化」なんてしていない、歴史の内在的記述。

ほんとはもっと早く読みたかったんだけどAmazonに同時に発注した本のせいで手元に届くのが今日になってしまった。明日からのヴァカンスで2回ぐらい読み返そうと思うから、バッグに入れていこう。

スローブログ宣言!

スローブログ宣言!