テレビドラマ版。

ドモアリガットミスタロボットだ!劇団ひとりイイ!はてなで誰かが書いていたけど、【現在の萌え系風俗街としての秋葉原】と、【一昔前の電気街としての秋葉原】、の区別と横断を映像記録として残したのが映画版『電車男』の意義だったはずなんだけど、このオープニングだと【サイバー電気‐風俗街としての秋葉原】という感じで、まあ、現実的ではあるけど、住む世界の横断(秋葉内における)というテーマは描けないね。CCBキター。サンボマスターがホームでライブ。と。なるほど。「あんた存在自体が近所迷惑よ!」とか「あんた生きてる価値ないんじゃない?」とかの罵倒って、オタクとしてはむしろ勲章というか、愚かな世間から隔絶された俺たち、に与えられた汚名、として自ら進んで受け容れる、という前提が(いつだったか〔たぶん第一世代には〕)あったのではないかと思うのですが、主人公が泣いていて、「あれ、この人はオタクじゃないのかな?」と疑問に思ったのだけどどうなんでしょ。ぼくはそういうことでよく泣くのでw(今日も泣いたサ)自分はオタクにはなれないのだなあ、と思ったりしたものですが、こんなんで泣いてたら、たんなる、よくいるモテないダメな男(ぼくも含めて)でしかないわけで、オタクを描こうという意志が貫徹されていない気がした。