ひとりで祭り続行するぞ。

ばけらった!


林道義の弟(林紘義)の文章。兄弟そろって電波*1だが、事実関係の記述が面白い。

ここで私の兄、林道義氏について一言報告しておかなくてはならない。
【略】
この男は父母が亡くなる十年間ほど、父母と異様な対立に陥り、父はとうとう勘当を言いわたし、母は母で死ぬ前には、道義氏には一切の遺産を渡さなくていいとまで言って、激しい嫌悪感を表明していた。道義氏が父母と喧嘩状態になったのは、彼が、父母からきょうだいのうちで自分だけ差別待遇をうけた、自分だけはちゃんと育ててもらえなかった(母が「未熟児に生んだため、ひどい苦労をし、苦痛をうけた」云々)、といった非難をもちだして、父母とりわけ母を攻撃したからであった。私たちの父母が特に優れた、立派な人であったと言うつもりはないが、しかしもちろん、彼らはそんな差別待遇や分け隔てをあえてするほどに悪い人間ではなかった(むしろ、平凡な人間だった)と誓って言うことができる。むしろ戦争中や戦後のモノの全くなかったときに、母などは自分の身を削っても必死になって数人の子供を育てたのだ。道義氏は長男としてこんなことを百も承知していて、なお両親が自分に対して――他のきょうだいはともかく、自分だけには――十分な配慮や栄養ある食糧等々を供与してちゃんと育てなかった、差別した、などと父母をやみくもに非難し、父母を悲しませ、また激怒させたのであった。母はいつもそんなときには、つらそうな顔をして、「仕方なかったんな」「みんなが食べられなかったんだから」「生めよ、増やせよの時代、戦争だけが、戦争に勝つことだけが正義の時代で、丁寧に、十分配慮して子供を育てるなどという時代ではなかったんな」、と言うのが常だった。もちろん、支配階級の戦争政策に無批判的に追随し、子供たちの(特に、自分の)養育を疎かにしたと父母を非難するのは易しい、しかしこうした非難の観念的なナンセンスと、歪められた、幼稚な自己中心主義を、我々は余りに簡単に見抜くことができるだろう。道義氏の発言は、他のきょうだいのひんしゅくと反発を買っただけだった。要するに、彼はものごとを客観的に見ることが決してできないのである。ひとりよがりとうぬぼれは、この男の本質である。

父母がこの件で仮に非難されることがあるとするなら、それは長男である道義氏を余りに甘やかせ、自己中心的なエゴイストに育ててしまった、ということだけであろう。道義氏以外の他の四人のきょうだいは、集まって彼のことを話すときには、「きょうだいの恥」と言って憂さを晴らすのが常である。きょうだいでさえ、誰一人、まともにつきあいたいと思わないのだ。

*1:褒め言葉。