それな社会学な!

いやー、今日は西荻窪スコブル社に初めて出向いてきましたよ。すごかった、親父のマシンガントーク。本人曰く「おたくのおたく」で、もう社会学者の名前は全部知ってるし、誰がどういう事情でそこに就職したのかとか、K谷氏が『NとS』のときに女に走ってそのときの奥さんが同級生の親友のとこに泣きに来て慰めたとか、AZM君もよく遊びに来てたけどGLOCOMに就職してから忙しくなったとか、東大でサックス(シェグロフだっけな)のコピー配ったのは俺だとか、とにかく、社会学の外在的、じゃないな、ジャーナル的な(楽屋)ネタをとにかく知り尽くしてるわけ。M田U田O澤AS野氏らが物語り研究会を秘密結社的にやってるらしいんだけどその情報が欲しいといわれたんだけど、誰か知らない?

来月からいろいろと本格始動(古書店は仮の姿で、メディア化するって言ってた。『社会学講義の実況中継』なる本をS社から出すらしくて、O澤さんの講義の録音とかをアーカイヴ化してるらしい)するらしく、ぼくも手伝わされるみたいだから(w)、今後情報が入り次第、お伝えしていきます。

さて、

引用【2】において言われているように、システム信頼が,
「他者は同じルールに従わないだろう,その可能性は高い」[‥]に対処する解決策として要請される
というタグイのものだとすると、それは、引用【1】に謂う「説明されるべき偶発的結果(秩序)が、先取りされて必然的なものとして前提されている」タグイの議論になりませんかね。

はい、この記述はぼくが完全に『信頼』の記述に引きずられた形の、明らかに誤った書き方です。こう訂正します:

社会システムは、他者が同じルールに従うかどうかといったDKな状況にありがちな複雑性に直面する負担を免除する。つまりシステムを信頼している状況下でのコミュニケーションは、ルールという、より予期のコストがかかる状況に関わりあうことをあらかじめ免除されている。そのことから遡行的に、相互行為状況下においては、相手と自己とがいかなるルールに従っているのかということが、より主題化されやすくなるのだといえる。むろん、実際にルールを主題としたコミュニケーションが行われるかどうかは、状況次第としかいいようがないが、自らが関わっているコミュニケーションが不安定なものであるという反省性を心的システムにもたらし、そのコミュニケーションの失敗(という観察)を内部帰属へと導きがちなのは、相互行為状況のほうである。

あれ、内部帰属―相互行為、てことになってくると、人格信頼―内部帰属/システム信頼―外部帰属、という酒井さんの図式に近づく??そういうことが言いたかったわけではない??

ううう今日はスコブル社マシンガントークでヘトヘトなので明日以降考えます・・・